アングラ・ド・エロイズモ(Angra do Heroísmo)はポルトガル・アゾレス諸島の3番目に大きな島であるテルセイラ島の南西部に位置し、かつては新大陸交易の重要な中継地として栄えた要塞都である。テルセイラ島の東半分を占めるプライア・ダ・ヴィトリアと隣接する。1980年の大震災で被害を受けたが、今日ではかつての街並が復興されている。
"ジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jerónimos)はポルトガルの首都であるリスボンのベレン地区に位置し、大航海時代の富をつぎ込んで建築されたマヌエル様式の最高傑作といわれている修道院。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え1502年にマヌエル1世によって着工され、幾度かの中断を経て最終的に300年ほどかかって完成した。当初の建築資金は、ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却によって得た莫大な利益により、後も香辛料貿易による利益によって賄われた。修道院の中には、ヴァスコ・ダ・ガマとルイス・デ・カモンイス(ポルトガルの詩人)の棺が安置されている。また、近年2007年12月13日にリスボン条約の調印式が行われた場所としても有名である。
ベレンの塔(torre de Belém)は、リスボンのベレン地区にあるテージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞である。16世紀前半にヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念して、マヌエル1世によって作られたマヌエル様式の塔である。作家の司馬遼太郎氏は美しいその姿を『テージョ川の公女』と表現した事でも有名。
バターリャ修道院(正式名聖母マリア修道院 - Mosteiro Santa Maria da Vitória)は、 レイリア地方の都市バターリャにあるドミニコ修道会の修道院である。切妻屋根、尖塔と小尖塔、控え壁が美しいポルトガル後期ゴシック様式とマヌエル様式の融合した傑作である。1385年8月14日、アルジュバロータの戦いで勝利した事を聖母マリアに感謝するために、1386年に建設が開始されたポルトガルの独立を象徴する建築物。
トマールのキリスト教修道院(Convento de Cristo em Tomar)は、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築といった様々な建築様式が融合した建築物で、1160年にテンプル騎士団によって建設が開始された。トマールの修道院及び城塞は、勃興したばかりのポルトガル王国の対ムーア人への防波堤の役割を果たしていた。14世紀になりテンプル騎士団に対して解散命令が出た後、ポルトガルに存在したテンプル騎士団は大航海時代のポルトガルを支えポルトガル海上帝国の礎を築いたキリスト騎士団へと改編され、彼らが引き継ぎ管轄することとなった。
アルコバッサ修道院(MOSTEIRO DE SANTA MARIA DE ALCOBAÇA)は、ポルトガル北部アルコバサの町にあるポルトガル初代国王アフォンソ1世の所願により1178年に建築が始められたシトー会修道院。 禁欲的なフランスのシトー派の影響を強く受け、無駄な装飾を排除し質素な作りで厳格な雰囲気を漂わせている。しかし南の翼廊には、ポルトガルで最も美しい中世の繊細な彫刻で飾られた石棺、ポルトガル文学で悲恋が歌われるペドロ1世と愛妾イネスの石棺が並んで置かれている。
国境防衛都市エルヴァスとその要塞群(Cidade-Quartel Fronteiriça de Elvas e as suas Fortificações)は、ポルトガルの都市エルヴァスの塁壁に囲まれた歴史地区と周辺の星型要塞などを含む世界遺産である。スペインとの国境にも近い防衛堅固なエルヴァスの建造物群は、17世紀ヨーロッパの国際政治情勢と密接に結びつく軍事建築の発展を伝える物件。